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愛知県のまつのベジフルサポーター、野菜ソムリエプロの中神ルミ子です。
寒さが一段と増し、野菜も寒さに耐えて自身の力をめいっぱい発揮する季節です。今回ご紹介するのは、田原市のJA愛知みなみの田原洋菜部会。会員数は281名で、ブロッコリー、セルリー、玉レタス、カリフラワー、レッドキャベツ、サニーレタス、グリーンリーフレタスの7作物を出荷しています。
平成27年度の実績は、栽培面積約456ha、出荷量約168万ケース、販売高約275億円とのこと。そんな田原洋菜部会の加藤由貴夫部会長を取材しました。
加藤さんは奥様の見佐子さんと二人でブロッコリーを栽培しています。約20品種を組み合わせ、10月~4月まで出荷をしています。
今でこそ品評会で何度も受賞するほどの腕前ですが、「兼業農家の三男に生まれ、就農前は新聞社でカメラマンをしたり、家電店で働いたり、いろいろな仕事をしました。30年程前に兄達が外へ出たので、自分が家業を継いで就農し、見よう見まねでブロッコリーを作って出荷場へ持って行きましたが、受け取ってもらえなかったこともありました」と就農当時を振り返ります。
当時から田原のブロッコリーは、品質を守るために厳しい検査がありました。出荷できない悔しさから日々勉強し、ブロッコリー研究会にも所属して、各種苗メーカーと情報交換しながら各種試作してきたそう。1品種につき30項目のチェックをして、このブロッコリーが田原に合う品種かどうかを確かめるなど、その深い追求が現在の田原洋菜部会のブロッコリーにも生かされています。
こちらが知る人ぞ知る、田原のブロッコリーブランド「マル田」。
ダンボールにも刻まれた赤い「マル田」のロゴが、田原洋菜部会のブランドマーク。先代から守られてきた大事なマークです。
田原洋菜部会の設立は今から51年前に遡ります。1950年頃にセルリー栽培からスタートしました。当時は地区農協の合併前で地域間の交流もほとんどありませんでしたが、洋菜栽培者が増えてくるにつれ、次第にグループ化の声が上がり、1966年に田原洋菜部会が発足。団結力や組織力を高めるべく規約が定められ、これにより産地としての基盤が整います。
1982年にはいち早く真空冷却装置が導入され、鮮度維持出荷によるブランド化に拍車がかかります。
真空冷却装置は4基あり、長年大切に使われてきたことがわかります。この装置を使うのは春から秋にかけて。真空予冷で急速に野菜の芯まで冷やし、その後も一定の温度が保てるよう、倉庫が冷蔵庫に早変わり。
スイッチを押すと、上からカーテンが降りてきて部屋になります。そこに冷気を当てることによって、トラックに積み込むまで一定の温度で保管できます。
こちらが田原洋菜部会の出荷場。
「守る品質 築く信頼 一人ひとりがマル田の力」というスローガンが掲げられています。これは2016年4月に加藤さんが部会長に就任した際、ご自身で発案したスローガンをここに掲げたそう。田原のブロッコリーは「みんなで一人」。「マル田」ブランドを守るためには、出荷場での厳しいチェックが必要です。一つでも基準に達しないものは出荷できません。
加藤さんは毎日検査に立ち会い、検査員と共にチェックを行います。
また、「葉付き出荷」といって、葉付きで出荷もしています。葉付きブロッコリーにすることにより、鮮度の良さが目に見えるため、新鮮さをアピールできます。
ところで、プロのカメラマンだった経歴をもつ加藤さん、カメラの腕前が素晴らしいです。加藤さんの写真をご紹介しましょう。
田原洋菜部会の野菜
年末の出荷場
セロリ畑
こちらは加藤さんが作ったチラシ
こちらに書いてあるように、田原洋菜部会は2月1~3日に東京で即売会を行います。場所はJA東京アグリパーク。生産者の方々はもちろん、初日には私も所属する「ベジエール渥美」も応援に行きます。
田原市で活躍する野菜ソムリエグループです。総勢48名の中から3名が参加します。お近くの方はぜひ遊びに来てください。
「いまでこそ農業産出額日本一を誇る田原市。昔は芋しか作れなかった土地だったけど、豊川用水が引かれてから一気に農業が発展しました。ブロッコリーを選んだ理由は、私の母がよく作っていたからですが、自分で栽培しているとどんどんブロッコリー栽培の魅力に惹かれていきました。品種だけでも数十種類あり、毎年試作を重ねて新しい品種も取り入れてます」と語る加藤さん。田原洋菜部会の今後がますます楽しみですね。
愛知県のまつのベジフルサポーター、野菜ソムリエプロの中神ルミ子でした。