2010年 3月 4日 (木)
静岡菊川 深川さん
by admin
深川です!
これがトンネルです。小さなビニールハウスですね。
レタスを雨風と寒さから守ります。
雨の日の収穫は大変だ〜
ぬかるみで足元が危ない!
今日もたくさん収穫します
どうですか!?このおいしそうなレタス!
今後ともよろしくお願いいたします!
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静岡でレタスを主に生産している、深川です。
冬のレタスの栽培を見たことがある方はいらっしゃいますでしょうか。
たとえ、涼しい環境を好むレタスといえど、
やっぱり冬の寒さは堪えます。
そこで私達は小トンネルというものを張って、
その中でレタスに頑張って育っていただきます。
そんなわけで今回は、レタスの冬栽培の歴史をご紹介したいと思います。
レタスは、洋名のくせに、実は、平安時代の記録に残っているほどふるーい野菜です。
でも、はじめの頃は下の方の葉から掻き取って使っており、「ちしゃ」というのが日本名だそうです。
でも、そのころのレタスは非結球。
玉レタスではないわけです。
ついでに冬につくろうなんて無謀なことは近年まで誰もしませんでした。
そんなレタスの日本での変革をもたらしたのがまさにGHQです。
日本に来たアメリカ軍の兵士。
やっぱりレタス入りのハンバーガーを一年中食べたかったわけです。
レタスの生産が難しい冬の間は、いろいろと試したそうです。
ハンバーガーにほうれん草をはさんだり、ミズナを挟んだり…。
でもやっぱり、レタスが恋しかったのでしょう。
そんなわけで、GHQの肝いりで玉レタスの冬生産の試行錯誤が本格スタート。
(ちなみに、玉レタス自体の栽培は幕末から少しずつスタートしていたそうです。)
神奈川と静岡でGHQと農家による試行錯誤による栽培を行っていたそうです。
当時の冬栽培ではビニールなんて使えません。
トンネルには油紙を、支柱には竹を使っていたそうです。
現在、ビニールを使っての栽培させていただいている自分には油紙を使っての栽培の大変さは、とてもイメージが湧きません。
ただ、過去の生産者の並々ならぬ努力の上に自分達の生産が成り立っていると思うと身が引き締まる思いです。
その後、品種改良や栽培技術の向上により現在の栽培体系があります。
そんな過去の偉業に思いを馳せながら今日もレタスの収獲に励んでいます。
こんなところで今回のレタス雑談は終了とさせていただきます。
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