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熊本・大分県内に甚大な被害をもたらした熊本地震から丸一年が経ちました。被災地の「今」を、熊本県ゆかりのまつのベジフルサポーター、まつのベジフル応援団、野菜ソムリエコミュニテイ熊本 代表の皆さんに伺いました。今なおも余震が続く熊本のレポートです。
◆熊本県まつのベジフルサポーター 野菜ソムリエプロ 佐藤真美さん
2016年4月14日、午後9時26分、熊本県を震源とする地震が発生。今までの普通の暮らしが一瞬にして変わりました。体育館や車中泊での避難生活が始まり、おにぎりとパンだけの食生活、家に帰れば散乱した家具を片付け、身体も心もヘトヘトの毎日でした。
あれから一年が経ちました。ほとんどの方が普段の生活に戻られたのではないかと思われます。
しかし地震の揺れが激しかった地域の住民は、家が全壊しているため、仮設住宅やみなし仮設などに移り、生活を送られています。「周りに誰も知り合いがおらず、孤独な生活を送っている」という方も。
現在の益城町の様子です。何軒も家が建っていたのですが、ほとんど更地になりました。当時のままの状態で残されている家も。
こちらのアパートも民家も全壊となっており、誰も住んでいないのです。安心して戻れる状態になるには、程遠いように感じられました。
続いて、JAましきの直売所へ行ってみました。こちらでは、益城の野菜や果物を販売しています。
震災から1年経って、何か変わったことはありますか?と尋ねると、「いいタケノコが生えない」とのことでした。生えても、例年よりものすごく小さいものしか生えてこないそうです。確かに、いつもだと店頭に並んでいるタケノコですが、あまり見かけません。地震の地殻変動が原因ではないかと言われているそうです。
また、野菜の生産量も減ったとのこと。益城町から他市町村や他県に移り住んでいる方が多く、生産者も減っているようです。
日々の生活に戻ったせいか、復興しているかのように思えます。しかし人々の生活は完全には戻っておらず、今後どうなるかわからないといった将来の不安が大きく、本当の復興にはまだまだ遠いようでした。
今後は、心のケアが復興への課題ではないかと思います。その為には、日々のコミュニケーションや食生活がとても大事になってきます。農家さんの思いを聞いて、それをみなさんに伝えること、また、イベントを開催し、食生活の大切さを伝えることなど、私にできることは多々あると思います。自分が出来る範囲で、復興への支援を今後も取り組んで行きたいと思います。
◆まつのベジフル応援団 野菜ソムリエプロ 齊藤倫子さん
2017年3月末、熊本市内で「熊本地震復興一周年 九州がっ祭」が開催され、私も帰省し参加しました。県外から人が集まるようなイベントの開催も復興の助けになると思います。
熊本のシンボルの熊本城の再建は、復興のシンボルにもなるもの。
広範囲に渡り石垣が崩れた様子は1年前とあまり変わらずでしたが、石垣の石が並べられている箇所があり、再建に向けての工事が進められているのが分かりました。
地震は熊本に大きな爪痕を残しましたが、歴史的な発見につながるかもしれない出来事も。これから復旧工事がされる中で、さらに発見があるのかもしれないと思わず期待が膨らみます。
震災を乗り越え、新たな一歩を踏み出しつつある故郷熊本を、これからも見守り、応援していきたいと思います。
◆ 野菜ソムリエコミュニテイ熊本 代表 持田成子さん
2016年4月14日午後9時26分に、大きな揺れが熊本を襲いました。NHKでは即刻テロップが流れ、県外からの電話やメールの連続に震度7という経験したことのない大きな地震を改めて感じました。
翌日、真夜中午前1時20分過ぎに再度の震度7。この時はすぐ停電、真っ暗闇の中で約30分、縦揺れ、横揺れが続く怖さを感じました。
大きな揺れが治まって、とりあえずの持ち物を持って避難所へ向かう際に見た大きな石の鳥居の崩落、未曽有の熊本地震を実感し始めた瞬間…昨日のことのようです。
「がまだせ(がんばれ)」と応援するかのように今年の桜は格段に美しく、花冷えのお陰で長く楽しむことができました。4000回を超す余震は、その規模が少なくなったもののいまだに続き、ここ数日は震度4や3を記録する揺れも生じて、皆それぞれがあの夜を思い出しては恐怖にかられています。
市内から30分ほど車で走ると震源地益城町…9割近くの住居が損壊し、18の仮設住宅団地、1562戸の仮設住居が整備されていますが、ここはスイカやメロンはじめ野菜の大きな産地です。
多くの生産者さんが被災、自宅は全壊、でも畑は助かった…いのちは助かったけれど、家もなく、水田にも、畑にも水がまだ来ない…、2年続けて作付けできないところも少なくありません。
自宅から畑・水田が近かったのに、仮設からは遠いとの理由で損壊した自宅敷地内で仮設の住まいにし、農作業に通われる方も少なくなく、一方で、畑が遠くなり農業を諦める方も少なくないと聞き及びます。被災者の心情は様々で、先日ボランティアに出かけた仮設でも皆さまの表情と行動にその辛さを垣間見た気がしました。
西原村から南阿蘇村に向けては、崩落したトンネルを何とか通そうと、損壊した橋や道路を迂回させるために残った大切な農地を手放さねばならない生産者。いまだに水がなく作付けできない畑。集落移転をしなければならない地区…。大津、御船…報道はされないけれども、多くの被害を受けた産地は本当に多数あります。
国道57号線も豊肥本線も寸断されたままの阿蘇…。地域の人々を守るために全壊した阿蘇神社では、再建が始まっています…。地震後の噴火による火山灰が降り積り、ダメになった畑から出た芽が伸び実ったイチゴやトマトには、希望の光もあります。
農業被害額が約1777億円に及ぶと、県の最新発表が出されたところです。震災により、多くの選果場機能が損壊したりカントリーエレベーターが損壊、水路損壊、ため池の壊れ等々、災害復旧はまだまだこれからのようです。
この1週間は盛んに熊本地震から1年という報道が多くなされていますが、報道も次第に減り、見た目には復興しているかのように感じられるかも知れません。
どうぞ末永く熊本の農産物を買って食べて応援していただき、比較的被害の少なかった天草・人吉をはじめとする観光地・温泉地を訪ねていただきますと共に、いつか元気になった阿蘇・熊本城にお越しいただきますよう、熊本応援をよろしくお願い申し上げます。
◆まつの卒業生 吉見茜さん
まつのを卒業し、熊本の農場に転職してすぐに見舞われた地震からまる一年。あの時の情景、感情は昨日の事のように思い出します。突然、突き上げるような揺れが収まったまさか2日目に本震がくるとは誰も予想していませんでした。
3ヵ月くらいは揺れが頻繁に起き、いつかまた大きい揺れが来るのか恐怖との戦いでした。ライフラインは止まり全て復旧したのは1ヶ月後。久しぶりにお風呂に入れた時のありがたさは今でも忘れられません。
左の写真は、最近撮影した震災直後の阿蘇地方の上空写真。屋根がブルーシートで覆われて青くなっています。右は熊本城。石垣がまだ崩れたままです。
震災当時、周りには家族も友達も知り合いもおらず不安と恐怖と寂しい思いでいっぱいでしたが多くの方からご心配、励ましの言葉をいただき本当に心強く、自分に負けない勇気となりました。
やりたいことに挑戦するために、まつのを卒業したにも関わらずたくさんの支援物資をいただきあたたかいお心遣いにただただ感謝しかありませんでした。
東日本大震災から防災の準備をしていたもののいざという時はなかなか冷静な行動を取ることは極めて難しいこと。長引く避難生活に備えて日頃準備しておくとよいもの。避難生活が長引くに連れて精神的に弱ってしまう傾向があるため精神的なケアがいかに大事であるか。実際に経験することで多くのことを学び感じました。
現在は、熊本で務めていた会社が震災の影響で事業縮小したため東京に戻り農業に携わっています。ことある度に、地震の怖さ、用意すべきことなど伝えるようにしています。言葉では伝わりにくいかもしれませんが自身が経験したことを伝えていく必要があると思っています。
地震大国の日本において東京も南海トラフ地震が来ると予想されています。いつ来てもおかしくないため日頃から意識しておくことが大事であると痛感します。
万が一の時に助け合いができるか。中には独りよがりな人も出てきます。目を疑う行動を起こす人もいます。犯罪を犯す人もいます。
人としてどうあるべきなのか。
弱い立場にある方をどう支えていけるのか。
私は今回多くの方に助けていただいたので今度は私が手を差し伸べられるようになりたいです。
◆まつの提携産地 有限会社 マスターフード 代表取締役 吉森信太郎様
地震直後の写真をお寄せいただきました。震災を忘れないために、貴重な記録としてご紹介させて頂きます。